同じ筑波大学の中の組織であっても
大学における学類や全学レベルのファカルティ・ディベロプメント(Faculty Development,FD)は、法律で改定されたことや教職員が知らなければならないことを周知する目的で開かれることが多いのに対して、HBPの場合は、新しいプログラムの立ち上げと運営に取り組む中で直面した課題などを共有し学び合う機会としてFDを活用することが多いです。さらには現状に加えて取り組みたいことや、今後の方向性をオープンに議論する場としてもFDが生かされていると思います。前者のFDがいかに問題や不祥事を防ぐか、いかに不安要素を取り除くかということが主たる目的であるのに対して、HBPでは青臭いものも含めて議論することも多いです。例えば、「どのようにして学生を育成するのか」などです。さらに、HBPはそもそも違う専門分野の組織から人が集まってきているため、皆文化が違います。だからこそ、違う意見が出て、そこが面白いですね。
FDも含めてHBPを運営する中で気づいたことは、同じ筑波大学の中の組織であっても各々は異なる組織であり、異なる文化を有しているということです。当たり前なのですが、HBPに関して新たな取り組みを行う場合、常に議論を通してお互いの考えや意見を共有し、その理解に基づいた協働を行う必要がありました。そのため、結果的に各組織・教職員の間の風通しも良くなったのだと思います。立ち上げ当初はお互いに何もわからなかったですからね。
FDにおける教職員の活発な議論
【ファカルティ・ディベロプメント(FD)】
FDとは、教員が授業内容や教育手法を改善し向上させるために実施する組織的な研究・研修であり、各組織で実施することが求められている。一方でFDを実施することが目的化する傾向があり、HBPではFDの機会を組織的に生かすべく取り組んだ。
HBPでは、教育のあり方や人材育成に関する組織学修の場としてのFDを活用し、また改革に必要な新たな仕組みを導入するための議論の場としても活用。外部の専門家をFDに招待し最新の情報を取り入れるなど、学外から学内への情報流通の機会としても積極的に活用。
煮つまりきったあとにもう一回
教員の私も、FDを通じて色々学びました。例えば、教育資本がテーマだったFDは面白かったです。前提背景として、十分な教育資本が蓄えられている人でないと成長しづらいという話でしたが、なるほどなと感じました。私が学生に期待したいのは、今流行りのGrid、つまり完結できる能力、タフなメンタリティーなのです。簡単に言うと根性のようなものになりますが、その能力こそ全てであり、これが教育資本によるものではないかと思うのです。もうこれでいいかな、と終わってしまうのではなく、もう一歩踏み出そう、もう1日頑張ろうという気持ちを持つことで、結果につながることも結構あるのです。煮つまりきったあとに、もう一回茹でてほしいのです。
HBPの学生は、HBP5年間で人として成長している、成熟していると感じます。長期間の海外ラボローテーションなどは、その成熟のためのプログラムだと思います。これが教育資本ですかね。ただ、より厳しいことを言うと、本来はこの成熟さとタフなメンタリティーを築き上げた上で研究に臨むと、本当に立派なPh.Dになると思います。本来人間として成熟しているというのは、Ph.Dを目指す学生にとっては最低限必要な条件だと思います。スポーツと同様に、本気になって、タフなことに取り組める期間が数年あってようやく素晴らしいものが修得できるものだと思います。もう少し早いタイミングで成熟さとタフなメンタリティーを形成できるプログラムであると、残りの期間で修得できるものが大きくなるのではと思います。
大学院教育改革の意識付けにFDを活用
【HBPが養成する能力ABC】
HBPの人材養成目標を具体的な科目デザインに落とし込むために、求める人材に必要な資質・能力を明確に定義し、プログラムに所属する教職員・学生の共通理解を醸成する必要があった。
HBPでは、研究活動を通じた専門力に加えて、完結力(A:Accomplishment)、 突破力(B:Breakthrough)、目利き力(C:Cognoscente)を身につけるべき能力と位置付けた。GLidDではこれらの能力の形式知化を行い、具体的な行動目標を設定した。